被災した生産者・中小事業者の支援など/ガーネットみやぎ 理事長の澁谷直美さんへのインタビュー


 特定非営利活動法人ガーネットみやぎは、現在、山元町・亘理町を中心に被災した生産者や中小事業者の支援を行っています。7月29日、理事長の澁谷直美さんにお話を伺いました。(聞き手:地星社 布田、藤原)

ガーネットみやぎ 澁谷さん
[仙台市太白区長町のカフェ・ベローチェにてインタビューを行いました]

名称 特定非営利活動法人ガーネットみやぎ
所在地 宮城県柴田郡村田町大字村田字針生前19番地
URL http://garnet-m.net

三年間のひきこもり生活から支援活動へ

―ガーネットみやぎの活動が始まった経緯について教えてください。

 私は宮城県の内陸部にある村田町に住んでいるのですが、東日本大震災が起きて、村田町では12日間ライフラインが止まり、一週間車の中で生活をしました。震災前の3年間は体調が悪く、ずっと寝たきりの様なひきこもり生活をしていました。震災直後車中生活をする中で、太陽が昇ったら起きて、太陽が沈んだら寝てという生活をしていたら、たった一週間で体が元気になりました。元気になったら色んなことがしたくなりました。そのとき私はちょうど無職だったので、お金はないけど、体と暇はあるということで(笑)。

 当初は、団体を立ち上げて支援活動をすることまでは考えていませんでした。携帯でミクシィを見て、村田町の情報を探していたら、県外の人が、「村田町に住んでいる親戚の安否が確認取れません」という書込みを見つけました。そこでその親戚の方の住所やお名前を聞いて、安否確認の代行を始めたんですね。それを4家族と1カップル分やりました。当時はガソリンが不足していたので村田町内を自転車で駆け巡りました。

 そして電気が復旧してから、TVやPCをつけて県内の被災情報を初めて見ました。被災の様子を調べていると、支援物資を送りたい方々はたくさんいるのに、行政の方では個人からの物資を受入れられない状況だとわかりました。だったら、県内に住む私が団体という形をつくって個人からの物資を受入れて、その物資を団体として行政に持っていけばいいんじゃん!と思いつきました。そこで支援団体をつくろうと動き出しました。

 私、ひきこもりのときにずっとネトゲ(※1)してたんですよ。ネトゲのチーム仲間が大量の支援物資や支援金を送ってくれて、これをちゃんと使いたいと思いました。いただいた支援金から、作業着を買い、残りを物資輸送にかかるガソリン代にしました。そして、同級生に団体の名前は何がいいかな?と相談をして、「ガーネットみやぎ」にしました。

 ガーネットは天然石の一種です。石言葉の意味が「実りの象徴」です。目標に向かいコツコツと努力し成果を実らせて、成功へと導いてくれるといわれています。大きな困難を前にしても、忍耐力を与えて前向きに乗り越えるようサポートしてくれる天然石でもあります。これはピッタリだということで団体名に決まりました。3月26日にガーネットみやぎをやることに決まり、28日にブログを作り、2011年4月1日に任意団体として活動をスタートさせました。

 震災当初の団体の活動は、支援物資の情報発信、そして収集と配送でした。震災から2ヶ月間は、それこそ気仙沼から山元町と県内の沿岸部全域に物資を届けました。行政のホームページ等を随時確認しながら、今不足している物を集約してブログに掲載し、全国の方が自宅に送ってくれた物資を仕分けして配送していました。また、この4月中はボランティアマッチングサイトを活用して自宅でボランティアのホームステイを受入れていました。

※1…ネットゲームの略。オンラインゲームとも呼ばれる。インターネットを介して複数のプレーヤーが同時に参加できる。

―物資を自宅で受け入れていたんですか?

 はい。実は、そんなに届くと思っていませんでした。たくさんの物資が全国、海外からも届き、家の全部の部屋を使っていました。1日2、30箱は届くので、毎日仕分けと配送、仕分けと配送をして。というのをやらないと置く場所がなくなりました。それをずっと続けていったんですが、やっぱり全域には手が回らない。そこで、比較的近く行きやすいということ、夏は鳥の海と磯浜に遊びに行っていたというのもあり、配送エリアを亘理と山元に絞りました。5月半ばから亘理山元に絞りつつ、物資要請があれば他の地域へも行きました。

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