震災記録映画の上映を通した地域間交流と仮設及び在宅被災者の支援/まちづくりNPOげんき宮城研究所 事務局長の門間光紀さんへのインタビュー


 げんき宮城研究所は、震災前から防災を始めさまざまなまちづくりの活動をしてきた団体で、震災後は県外の地域との交流を深めながら東松島を中心に支援活動を続けています。2013年8月22日、みやぎNPOプラザにおいて事務局長の門間光紀さんにお話を伺いました。

げんき宮城研究所 門間さん

団体名 まちづくりNPOげんき宮城研究所
連絡先住所 仙台市宮城野区榴ヶ岡5 みやぎNPOプラザ レターケースNo.7
URL http://www.genki.miyagiken.biz

震災前には、宮城県沖地震が明日にでも来てもおかしくないという前提のもとに、備えようという活動をやっていた

−震災前に団体がどういう経緯でできて、どのような活動をしていたか教えてください。

 活動を開始したのは2002年の4月です。そのときはまちづくりNPOげんき松島研究所と言っていました。げんき松島研究所は、私とケアマネージャー第一号の合格者の人と民生委員とで立ち上げました。当初は介護関係の方から活動を始めて、介護保険法って何なのというところから入っていったわけです。住民は手続きの仕方もわからないと。われわれにも相談がありました。

 その頃、高城町(※1)で商店街が寂れてしまっていたということで、家具屋さんの家が空いていてなんとかしたいという相談がありました。それで、そこを8つのブースに仕切って、よってがいんハウスという名前で1つの店舗に8つの店をつくったわけですよ。その一角にわれわれも入居して、なおかつ運営を任せられました。

※1…JR仙石線の駅名。松島町にある。

 よってがいんハウスをオープンさせたことで、地域の人がたくさん出入りするようになりました。福祉施設がパン屋さんとして入ったり、陶芸家が入ったり。そこで交流が生まれて、介護保険の認知徹底ということから入ったのですけれども、最終的には寄り合いどころとして高齢者の料理教室をやったり、相談業務をやったりしました。それで地域の人にも応援をしてもらったし、できてよかったねという話だった。

 げんき松島研究所ですと言って仙台で活動すると、松島の団体がなんで仙台に来て活動しているんだという声がけっこう聞かれた。僕らは松島で活動するんじゃなくて、元気な松島を発信したいんだという思いで名前をつけた。そういうことを毎回説明するとくたびれるので、2007年6月にげんき宮城に団体名を変えました。宮城県全域を活動範囲にしたのが始まりですね。

 名前にまちづくりとつけたのですけれど、結局は地域に入っていくとすべてのジャンルになりますよね。うちは福祉だけしかやらない団体ですとは言えなくなっちゃうわけですよ。環境の問題も相談を受ければ一緒に活動したり。うちは年間の活動計画は作るのですけど、相談があったり、メンバーがこういうことをやりたいというときは、この指とまれで、プロジェクトをつくってそれぞれやるものですから。おおざっぱに言うと何でもありなんですね。規約にはまちづくりの推進、福祉の増進、文化の振興、環境の保全、思いを形にする活動、ほかの団体への助言と。6つが規約に書いてあることで、4つめまではその通りの活動ですけど、5番目は何でもあり。

 2002年9月に、げんき宮城とは別にみちのく八雲会(※2)という団体を立ち上げました。みちのく八雲会はげんき宮城が文化事業でまちづくり活動をしていくベースになっている団体なんです。スタートから2団体がコラボしていて、僕らは文化振興を通して社会変革を起こしていこうというのがベースにあります。

※2…ギリシャ出身の文学者、日本研究家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン:1850-1904)を研究し、その功績を顕彰する団体として八雲会(本部:松江市)があり、日本各地に地域の八雲会がある。みちのく八雲会もその一つ。

 それで震災前はそのときテーマとなっていることを取り上げて、われわれの団体で実行可能なことをやっていました。

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