南三陸町での障がい児・者の支援/奏海の杜 事務局長の太齋京子さんへのインタビュー


 奏海の杜(かなみのもり)は、南三陸町で障がい児・者の支援活動をしている団体です。9月25日、奏海の杜が障がい児の放課後の預かりをしている南三陸町入谷公民館で、事務局長の太齋京子さんにお話を伺いました。(聞き手:地星社 布田)

奏海の杜 太齋さん

名称 特定非営利活動法人奏海の杜
所在地 宮城県登米市中田町上沼字西桜場32-1
TEL 0220-44-4171
URL http://blog.canpan.info/hsc_kenpoku/

南三陸町では障がい児のための福祉サービスがゼロだった

—活動が始まった経緯について教えてください。

 奏海の杜は東日本大震災が契機となって始まった団体です。まず、話は阪神淡路大震災の頃に遡りますが、当時、障がい者が支援から置き去りになったという苦い過去があり、その教訓を踏まえてゆめ風基金という基金が立ち上がりました。それは有事の際に障がい者の支援に使われるということで、阪神淡路大震災以降、ずっと募金活動をして、ある程度お金があったんです。そのゆめ風基金が、東日本大震災の直後、障がい者に特化した支援活動をしようということで被災地に入ったのですね。そのとき、福島と宮城と岩手に、数カ所の被災地障がい者センターというものができました。そのうちの一つ、被災地障がい者センター南三陸が、奏海の杜の前身です。

 そこが立ち上がったのは2011年6月で、そのとき私はまだ入っていませんでした。南三陸は津波で随分建物が流されてしまっていたので、内陸の登米市に事務所を借りて、そこからボランティアさんを派遣していました。最初は、おむつや毛布、飲料水といった支援物資を障がい者に限定してお届けしていたと聞いてます。それと、交通の足がなくなってしまったので、病院への送迎を行っていました。障害者の方たちにとって、病院へ行けないというのは切実な問題でした。

 私が入ったのは2011年の9月の末です。南三陸町は8月に避難所を全部閉鎖して、被災者は仮設住宅に移ったんですね。そのときに私たちの活動にも転機がありました。もう物資は足りていて、何かがなくて困るという話は少なくなってきていました。ですので、私が入ったときには、送迎と傾聴が活動の中心でした。病院がとにかく遠いので、気仙沼や石巻の方まで送り迎えをしました。また、南三陸町では買い物をするところがなかったので、買い物に行くのに車を出しておつきあいすることもありました。あとは、仮設住宅で心理的に落ち込んでいる方々のところに行って、お話を聞くなどの傾聴活動をしていました。

 そのときに私たちは、ある自閉症の女性に出会いました。彼女は学校を卒業してから、いろんな施設に行ったけれども、施設が合わなくて、お母さんもずっと家から出すことができませんでした。このままでは将来どうするのだろうという不安がありますよね。お母さんたちと丁寧にお話ししていたら私たちのことを信頼してくださって、彼女を外へ連れ出すことができたのです。ずっと家にいる人が外に出るのはすごく勇気がいります。ご本人はもちろんご家族の方もです。だからそれは、本当に時間がかかる、根気のいる毎日でした。

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