宮城県サポートセンター支援事務所は、沿岸部の被災地自治体に開設された仮設住宅サポートセンターをバックアップする機関として宮城県により設置され、宮城県社会福祉士会が運営を受託してさまざまな支援を続けてきました。これまでの活動について、コーディネーターの真壁さおりさんに伺いました。(取材日:2020年12月8日/聞き手:布田剛、赤川泉美)

名称 宮城県サポートセンター支援事務所
所在地 仙台市青葉区本町3-7-4(2021年3月末をもって閉所)
URL http://m-saposen.jp/

声の大きい人だけじゃなくあらゆる人の意見が表に出てくるような話し合いを

—宮城県サポートセンター支援事務所が始まった経緯と、そこに真壁さんが関わるようになったきっかけを教えてください。

支援事務所を設置することになったのは、沿岸部の全域が大きな被害を受けた大震災の支援が相当長期化することを見通した上での、県の判断だったようですね。マンパワーが足りない中でも、どうにかしてバックアップの体制を作らなければいけないという決断だったのだと思います。

私は震災時、せんだい・みやぎNPOセンター(以下、せ・み)の職員として仙台市市民活動サポートセンターに在籍していました。震災直後から多くのNPOやNGOが支援に駆け付けてくれてとてもありがたかったですね。せっかくの力を無駄にしないようその人たちを被災地につなぐ部署として、せ・みの中にみやぎ連携復興センター(以下、れんぷく)が立ち上がりました。当初私は、せ・みの職員としてれんぷくの立ち上げの手伝いをしていましたが、そのままそちらに異動になったんですよね。その後2012年6月にせ・みを退職したのですが、その時に支援事務所の所長から声をかけられたのが関わるようになったきっかけです。所長も、NPOやNGOとの連携の必要性を感じていたようなのですが、どうすればいいのかを模索していたようで、NPOのこともコーディネートの仕方も知っている人材を探していたとのことで私に声がかかったわけです。

当初、県が考えていたのは、仮設住宅団地に配置されていた支援員たちのバックアップという限定的なものでした。しかし、みなし仮設、広域避難者、在宅被災者など、被災者の状況も多様だということがわかってきて、仕事の範囲はどんどん広がっていきましたね。

仮設住宅の集会所にサテライトを持っているサポセンが多かったので、そこに出向いて、現状や困っていることを聞いて回るという毎日でした。こちらから何ができるとも言えない状況だったので、聞いた話を一度持ち帰って整理をして、必要なことを考えていくというのが最初の1年でした。

それから支援員対象の研修のコーディネートですね。各地に訪問して支援員の困りごとやニーズを聞き、外部講師とつなぐというようなことをしていました。阪神淡路大震災の経験者に講師として来てもらって、災害時の心構えなどを細かく教えてもらったのは心強かったですね。こちらは初めてなのでアドバイスできませんでしたから。

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