一般社団法人まなびの森は宮城県南部で被災した子どもの学習支援や、不登校の子どもの支援をしてきた団体です。これまでの活動と今後の展望について、代表理事の坂本一さんに伺いました。(取材日:2020年10月19日/聞き手:布田剛、鈴木香織)

名称 一般社団法人まなびの森
所在地 宮城県角田市角田字扇町5-3
URL https://www.manabinomori.org/


震災後、不登校が増えている事実を知った

―坂本さんは震災の当日、3月11日をどのように迎えましたか?

20年以上にわたって運営に携わってきた塾から独立し、新たな屋号「まなびの森」という塾を4月から始めるための準備をしていました。高校の合格発表も落ち着き、これから本格的に塾事業に取り掛かろうと思っていた矢先に震災が起きました。

当時は原発事故の影響から、角田市にいる自分たちも避難しなければならない可能性があったので、廃業も視野に入れていました。幸い避難には至らず、1ヶ月でライフラインも復活し、今後のことを考えていました。

―災害から生活も落ち着いてきたところで、被災した子どもの学習支援活動を始められた経緯を教えてください。

20年以上関わってきた、NPO法人ほっとあい(※1)と4月半ば、角田市の隣にある山元町の避難所へ現地調査に同行したのがきっかけです。避難所の代表の方にお手伝いできることがあれば言ってくださいと声掛けをしていたんです。それから仙台市内でも様々なボランティア団体の動きがあることを知り、今後子どもたちへの支援が必要になってくると予感していました。例えばツイッターで4月の半ばから動いていたアスイク(※2)の投稿を見て、避難所は大変なことになっていると知りましたし、東京のNPO法人カタリバ(※3)も現地調査に入ると知りました。

外部団体の支援が入る一方で、現地にいる自分たちは何もできていないと心苦しさを感じていたときに、山元町で5月末から仮設の入居が始まることになり、4月にお話ししていた避難所の代表の方から、子どもたちに何か支援をしてほしいと相談を受け、活動に繋がりました。そうして入居開始と同時に、夜間の子どもたちの学習支援活動が始まりました。5月に説明会を終え、活動が本格化したのは6月の第1週からです。山元町は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区があり、地域ごとに仮設住宅が設けられていました。角田市での塾事業も同時進行する必要があり、人手も限られていたので、初年度は坂元地区のみで活動しました。そして2年目から山下地区にも支援に入りました。

2011年冬に、中学校の中に入って行う学習支援が始まりました。中学3年生を対象とした高校受験対策のための学習支援活動です。当時は、学校に外部の団体が入って活動するのは中学校も初めてのことだったそうです。山元町には中学校が2つあり、坂元中学校とは直接やりとりして始まりました。もう1つの山下中学ではNPO法人フローレンス(※4)が学習支援に介入しており、冬休みには学習会を始めることが決まっていました。ですが現地でのプレイヤーが不在であると知人を通じて知り、自分たちが支援に入ることになりました。

そうして山下中とも直接関係ができ、その流れで放課後学習の支援活動が始まりました。2011年から2013年までの2年間、夜の仮設、中学校の放課後学習支援、そして長期休暇の学習会を行いました。

※1 大河原町で高齢者介護事業を行っているNPO。
※2 避難所での子どもの学習支援から活動をスタートし、2011年9月にNPO法人化した。
※3 東京に本部がある教育支援NPO。
※4 東京に本部がある子ども支援NPO。

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