そういう話し合いが、仙台だけじゃなくて、もうちょっといろいろなところで行われていってほしいなと思ってはいますね。どうしても点と点の感じは否めない。例えば、僕らもいろんな団体と接しますが、あそこの団体いいよねっていうのがあっても、みんな点と点とで、車で帰ってくるたびに無力感を感じます。

 小粒さというのは対立構造の一つのように思います。小粒同士が競って、結局どこそこの助成プログラムに採択されるために何をする、目立つことをするみたいな。そうするとどんどん本質的なものを失って、毒まんじゅうを食い続けるみたいになってしまいます。それより、もっと構造的な変革をしていかなければ、10年経ったらどうなるんだというのはありますね。

—復興支援活動も、未だに群雄割拠の戦国時代的な感じがありますよね。スタープレーヤーというか、目立つ人は目立って、みんなの目が向くんだけれども、いつまでもそれでいいのだろうかと。ちょっと抽象的でもいいから、みんなが課題を話し合える寄り合いみたいな場が必要ですよね。

 支援団体間で話せる場が必要なのと同様に、地域の住民の間でもそういう場が必要ですね。例えば、昔だと地域の中に祭りがあったり、消防団とか、地方にはそういうのがありますよね。そういう寄り合いからできたグループとか、それはNPOという体をなす必要はないんですけど、そういうところが地域の課題解決に力を発揮してほしいです。そういうところにサポートをしていきたいなというのはありますね。そのように地域住民が主体になっていかないと、中長期的にはけっこう難しいなあと思います。

 よくいう共助や公助ということで言えば、共助もなかなか減っている中で、公助のことを言ったってやっぱり難しいです。共助のところはどういうレベルでコミュニティを作れるか考えないといけなくて、その先に公助があると思っています。うちは大船渡で一軒一軒被災者の見守りをしているけど、これは資金があり続けないといつまでもできないです。それよりは畑を作って、参加者のグループ化を図ろうと。地縁型のコミュニティじゃなくて、目的、手段に対するコミュニティづくりを考えています。地域の煩わしさってみんな持っているので、そうじゃない、趣味のグループですね。その中で会話ができて、共助ができると、次に何か公助につながる可能性があるかなと。そのために今はコミュニティ農園的なものをやろうと、そういう仕掛けをしています。

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