―転機となる取り組みは助成金を受けて実施していたと思いますが、助成金の申請書を書くのは大変ではありませんでしたか?
大変でした。最初は、全国の障害者支援団体が助成金を申請した時の、助成金の書き方を見せてもらいました。なるほど、こういうことを書けば助成団体はわかってくれるのかと思いながら。でも、そんなに上手に書けないけれど、事例を見ながら、自分で考えて一生懸命申請書を作成しました。私がやれたことは、その時タイムリーに、その地域の障害者支援や地域復興のために、私たちができる課題解決は何なのかということを一生懸命考えて、素人なりに発信する事でした。
―助成金以外にも様々な支援を受けられたと思いますが、どのような支援が役に立ちましたか?
2014年あたりから、NPOの設立勉強会に通いながらNPOの勉強を始めました。その頃、特定非営利活動法人GRAの斉藤光弘さん(注1)や一般社団法人ふらっとーほくの松島くん(注2)、一般社団法人まなびの森の坂本さん(注3)にアドバイスをもらい、NPOで何をやりたいのか、経営していけるのかなど、ヒアリングを受けながら私の考えをまとめていきました。指導を受けながら企画書を何回も作り直して、ついに2015年5月にポラリスを設立できました。また、設立後、色々な人に私たちの取り組みを知ってもらうのに、壁画アートは大きな役割を果たしてくれました。町内の人たちに知ってもらえましたし、新聞にも取り上げてもらい、多くの方に発信されました。
それと、助成金は理事たちが全国の先進事例の視察に行って勉強させてもらうことにも活用でき、この地域で障害のある人たちと障害福祉の制度事業以外の活動をすすめることができました。そういった障害福祉に関する「夢と希望の活動」ができたのは、助成金の応援があったからです。その成果として、障害者やその家族、さらに地域がしなやかに優しく変わりつつあると感じています。
注1 (特非)GRAは、東日本大震災で被災した宮城県山元町の復興支援を主な目的として作られた団体。当時、斉藤光弘さんは当時副代表。東京在住。
注2 (一社)ふらっとーほくは宮城県南地域で復興支援活動をしている団体。当時の代表は松島宏佑さん。
注3 (一社)まなびの森は宮城県南地域で子どもの学習支援をしている団体。代表は坂本一さん。
地域の人たちが障害者アートに触れて可能性に共感してくれた
―障害者やその家族、地域が変わっていったとのことでしたが、震災後10年の活動の中でどのような変化がありましたか。
例えば、なぜポラリスに通う障害者の人たちは、どうしてこんなに地域で堂々と活動できる人たちなのか?と聞かれることがあります。しかし、はじめからそうではなく、最初はみんな自信がなくて、とても消極的で地域に出ての活動を怖がる人たちでした。でも、アート活動だったり、施設外就労だったり、ほぼ毎日地域に出て活動している中で、地域の人の優しさに触れ、力をつけてきました。それに、メンバーに「山元町の復興のために、できることは参加しようね」とお掃除の仕事に連れていくと、みんな生き生きと掃除をがんばってくれました。自分も、まちづくりの当事者であり、復興に貢献したいと考えているんです。
2015年の8月に就労支援事業が始まったのですが、そのときはまだ障害者ができる仕事はアート活動以外ありませんでした。ちょうどその頃、NPO法人エイブル・アート・ジャパンが全国や世界で活躍している宮城県在住の障害者アーティストの作品と地元の障害者の作品を山元町で企画展示する「やまのもとのアート展」を開催してくれました。それがきっかけで、地域の人がポラリスの活動にすごく共感してくれるようになったんです。地域の人が障害者アートを見てくれたんですね。
私たちと一緒に地域づくりを勉強していた地元企業の社長さんが、そこでそのアートに直に触れ、可能性に共感してくれて、ポラリスの利用者のアートを、看板や会社のリーフレットやホームページに使ってくれたことを機に徐々にお仕事が増えていきました。そうして、地域で障害者の人が働くということにみんなが共感し、応援してくれるようになり、現在は企業や町から委託された仕事とアート活動を組み合わせた「はたらく・たのしむ・まなぶ」活動が定着しています。