高校生の居場所づくりとしてひだまりカフェを開設している

―高校生の居場所の事業はどのように始まりましたか?

高校生向けの夜間の居場所を2018年につくりました。中学生の支援は行ってきましたが、卒業した彼らの支援には関わってあげられていませんでした。不登校経験のある子たちが卒業後した後、世の中に出ていけるか不安でしたし、放課後や夜間で関わった子たちに関しても不安でいっぱいでした。それに当時、卒業して高校生になっても夜間の中学生支援の場に時々来ていたんです。

それで「ひだまりカフェ」という高校生向けの夜間の居場所をつくりました。頻度は週に4回、夕方5時から9時くらいです。過ごし方は様々で、雑談や勉強、中には皆で集まって対戦型ゲームをして楽しそうに過ごす子たちもいました。また、アルバイトの面接はどうやったらいいか、履歴書や小論文、就職の際に提出するエントリーシートの書き方を教えてほしいなどの相談に来る子もいました。頼りたいときに、困ったときに、行けば誰かがいてくれる、そういう場所が彼らには必要だったんです。ここで過ごしてきた高校生たちの中には推薦で大学進学が決まった子もいます。推薦入試なので普段の生活だけでなく、部活動でも頑張って活躍したそうです。学校生活もそうですが、ひだまりカフェで過ごした時間にも価値があったのかなと思っています。

震災の体験を言語化できなかった低学年の子どもたちこそ長期的なサポートが必要

―震災からの10年を振り返って、活動の原動力となっていたのはどういったことでしたか?

何か仕組みを作るとき、この子のためにこういう体制を作ろうという気持ちが原動力となった出来事が3つあります。1つ目は震災から2か月後の仮設住宅の説明会で聞こえてきた話です。震災を境に「お母さん」と言わなくなってしまったお孫さんがいるらしいという話でした。その子はお母さんを亡くし、おばあさんと仮設で暮らしていることが伺えました。自分たちが取り掛かり始めた活動が長期間にわたることを予感しました。10年が経過し今年の3月、おそらくはその子の世代の子どもたちが高校に進学しました。ここまで大きくなるまで長期的に関わることができたのだと実感しました。

この出来事を機に、子どもたちとの関わり方についてスタッフたちと話合いをしました。私たちは「心のケア」に関して特別な訓練や技術を備えていませんでした。だから自分たちは子どもたちの側に絶えずとどまり、子どもたちが話したくなったときにそれを受け止められるようにしようと目標を立てました。初期メンバーは今もずっとそれを心に留めていると思います。

2つ目は震災当時、山元町の中学校の校長先生から「仮設住宅に入居している子どもたちだけが被災したのではない。地域全体が被災したんだ。だから地域全体に届く支援を考えて欲しい」と言われたことです。この言葉で、ニーズの大きさに目を向けなければならないと気付かされました。毎週火曜日に仮設住宅で実施していた夜間の支援に加えて、金曜日には公民館で誰もが参加できる学習会を開くことになり、学校からも活動の広報活動に協力していただけました。さらに冬休みや放課後も学校の教室を使っていいですよと言ってもらえて、学校との連携もさらに深まっていきました。

3つ目の転機は先程お話しした、家庭環境に課題を抱えている子どもたちの存在です。不登校の子に対しては学習支援だけでなく、家庭環境の把握や心のケアも必要になってくるのだと、新たな気付きのきっかけになりました。

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