―石巻市での活動は、どのようにして始まったのですか?

震災発生から1か月くらい経ったある日、突然、石巻の在宅被災者の方から「助けてください」と連絡がありました。連絡が来たのは、石巻にもボランティア団体が入っているが、泥だし以外の食料などの個別案件は誰も話を聞いてくれないからという理由でした。とりあえず、100人分の食料をかき集め、トラックで積んで駆けつけました。その人たちの話を聞いていた時、山元町の避難所の周りの人たちのことを思い出しました。石巻市では在宅被災者分の食料も避難所に届いていましたが、すんなり在宅被災者には分けられなかったそうでした。避難所の人も、ひもじい思いをし、明日もどうなるかわからない中で、不安だったことはよくわかります。

同じ宮城県内ですが、石巻市は活動拠点からは車で2時間近くと遠く、簡単には通えないこともあり、助けを求めれば助けてくれる人が必ずいると思うから、と言い残して一旦帰りました。すると、一週間くらいして、また助けてくださいと連絡がありました。その後、石巻の市役所にも、ボランティアの人たちのところにも行きましたが、在宅被災者を助けてくれる人はおらず、「どうにもならない、石巻の支援をしないといなきゃいけない」と思いました。

実は、最初に入った渡波地区には、全部で在宅被災者は3,000人くらいいることがわかりました。チーム王冠は3人の弱小団体で、とてもじゃないが無理だと思いました。しかし、3,000人は無理だけど、30チームならなんとかなるのではと考えました。被災者側が100人で1チームになってくれれば可能なのではないかと考え、被災者側に協力をお願いしました。その後、よくよく話を聞くと、隣の湊地区や大街道もそうだとなり、結局対象者が270チーム2700世帯9,000人くらいの名簿になりました。支援活動をやりながら、ベストは1チーム20人から30人だとわかってきました。リーダーが把握できる範囲がその人数でした。WFPや台湾からの支援物資、またひとりひとりの小さな支援物資を確保し、名簿に沿って複数回の食料物資、情報支援などを実施しました。あの時は雑な支援だったかもしれないが、安心は届けられたのではないか。そこには自信を持っています。

石巻の方に活動の中心を移すときには、一緒に支援活動をしていた仲間に仙南を捨てるのかと言われもしました。しかし、避難所の人は公助の枠の中でしたが、在宅避難の人は、公助の枠から外れていました。災害対策基本法を読み解いてみると、在宅被災者は支援しなくてよいくらいの感じで書かれていました。どちらに手を差し伸べるかに地域は関係ない。そう考え、石巻での活動が重点を移していきました。

活動資金などは助成金をいただいたところもありましたが、仙南の活動拠点から毎日片道2時間以上をかけて通い、朝5時、6時から夜中の2時、3時まで活動していて、さらに助成金の申請書を書くなんてできませんでした。そもそも在宅被災者は支援が必要な被災者であるという認識自体をきちんと拡げていかないと、活動資金の援助もなくこの人たちに先はないと身に染みていました。事実、書き上げた申請書に対する質問は「在宅被災者って何ですか?」というももや、「ちょっと意味がわかりません」というものばかりでした。


在宅被災者宅で津波の浸水位置を示す伊藤さん

弁護士会との協働調査によって行政やメディアに在宅被災者の問題を伝えることができた

―その後、在宅被災者の調査に取り組まれますが、それはどういった経緯だったのですか?

震災直後は、居酒屋の経営者と2足のわらじと言いながら、ほぼ被災者支援になっていました。震災から半年くらい経てば全体が落ち着き、在宅被災者への支援が届くのかなと予想し、そのあたりで自分は支援活動をやめると思っていたのですが、やっていくうちに、いろんなことがわかればわかるほど、この人たちは見捨てられてしまう被災者だということがわかり、結局支援活動を続ける覚悟を決めて2011年10月には一般社団法人を設立しました。

取り組むにあたり、大きな課題は、どうすればこの在宅避難した人たちが支援すべき人たちと認識してもらえるのかでした。それには「在宅被災者アセスメント調査」を実施し、現状を報告するしかないと思い至りました。しかし、家の壊れ方や生活上の問題は見たまま聞いたままをデータ化すればいいが、健康問題や心理的ダメージなどは、素人判断ができないと考え、いろんな医療係団体の方に相談をしました。ただ、前例の無い無謀な調査、金も人も無い団体の申し出を受けてくれるところはありませんでした。そして最後の最後に、医療法人社団鉄祐会祐ホームクリニックの理事長武藤先生とつながることができ、話が進みました。

武藤先生は、「調査をやりましょう。なぜならこれはやらなければならないことです。まずはやることだけ決めて、先に進みましょう。お金はどうする、人はどうするは後で考えましょう」と即答されました。その後、富士通からSEの方が来て、自分がやりたい調査について説明をしました。すると、「伊藤さんがやろうとしているのはアセスメント調査でそのためにはデータベースが必要です。それは富士通が準備します。」と言われ、その後調査項目を詰めていきました。そして、2011年11月から2012年1月にかけて4,000件の調査を実施し、2012年3月くらいでプレスリリースをし、在宅被災者の全体像を伝えることができたのです。

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