あと、何か支援をしたいという全国の方と、被災地域を結びつけるツールが支援物資なんだと思います。いつまで物資支援をやってるのかと言われる事もありますが、物資支援をすることで被災地とのつながりを感じる方もいるんですね。
―今必要とされている物資としてはどういうものが多いのですか?
現在掲載しているのは、山元町で被災者を集めて機織りをしている「かたくり舎織姫の会」という団体への機織り機など、その事業者やグループが活動を続けていく中で必要な備品や資材などです。いちご農家さんにはスコップや落ち葉かきとか、その人たちがより活動をしやすくするためのツールを支援しています。
―お金よりも物で支援したいという人もいますしね。そうやってつなげているわけですね。
活動を継続していると、地域で何か事業を始めたいと思っている人から、うちに連絡がきたりと広がっています。何かやりたいなぁという人もやっぱり物がないと何も出来ないというのもあるので、そこはサポートしていきたいなと思っています。
―物資支援をしながら、ムール貝とかのプロジェクトもしてますよね。そういうのはいつぐらいからスタートしたんですか?
地域事業者さんのサポートに入ったのは、震災後1年程からです。山元町の被災した事業者たちがそろそろ始めようかなという気になってきた。そういうときに連絡が入り、訪問し、現状を聞いて、こういうことならうちはサポートできますと。他団体や企業へつなげるという事もしています。
あと、長面浦(※3)のムール貝ですね。うちの理事である鷹野さんが石巻市の尾崎(※3)を訪問した際に、ムール貝が捨てられてるけどとても美味しいとフェイスブックに投稿していたんです。私はたまたまその前日に、ニュージーランドではムール貝を温泉で蒸して食べる習慣があるというのをテレビで見ていました。それを鷹野さんにメッセージしたら、じゃあ一緒にやってみましょうかと。私はまだ尾崎がどんなところかも知らなかったのですが。
2012年の5月に初めて長面浦地域に行きました。長面浦は、未だ津波で壊れた家屋もそのまま残っていたし、水、電気も復旧してなくて、その中で牡蠣の復旧がんばるぜ!って生産者がいることに驚き感動しました。また、自然豊かでとてもいい雰囲気で、一瞬で好きになりました。そして、よしやろうと決めました。
それから牡蠣の生産者さんたちと顔を合わせ、まずは物資支援から入り、関係性を築きながら、実はこういう事業をしていきたいと考えを話しました。合意がとれてから飲食店等とつなぎだしました。あとは長面浦のムール貝と牡蠣の美味しさをいろんな人に知ってもらうためにイベントで焼き牡蠣をやったり、ムール貝のスープを振る舞ったりしました。