布田 今後もそういう感じで続ける予定ですか?

加藤 法人格を取るか取らないかという話も出て、ちょっと悩んだ時期もあったんですけれども、やっぱり地元の団体にしたいというのがあります。その中で決算をしなきゃいけないとか、予算を立てないといけないとか、事業計画書を書かないといけないというのが、自分もろくにできないのに、果たして地元の若い人たちを巻き込んでそれができるのかなって。まあ無理だよね、みたいな(笑)。

 だから淳ちゃん(※4)なんかもう、ゆるく、長くというのはずっと言ってますね。じゃないと誰も入ってこれないからね。

※4…現代表の立花さん。

立花 震災をきっかけにして、まちに対して何かをしたいという若い人もいるんですけど、果たしてそれはどういうふうにしていいのかわからない。だから、こういう場所をみんなに知ってもらうことで、自分らと同じ年代や、下の年代の子たちに、まちづくりについて関心を持ってもらったり、話せる場所を提供できればと思ってるんで、あまりしっかりした形をとってしまうと、近づきがたくなってしまう。外から来た子だけじゃなくて、自分も含めて地元のメンバーが経験を積んで、地元民の人たちがかかわれるようになったときに、初めてしっかりした形を取っていった方がいいのではないかと思います。

布田 唐桑の地域の中にからくわ丸という団体ができて、地元の若い人や、外から新しく来た若い人が集まれる場ができたことの意義はかなり大きいのではないでしょうか。

加藤 そうですね。震災があってこっちに来てから、まちづくりに必要な3つのものがあるというのを聞きました。よそ者、若者、ばか者って。最初それを聞いて、自分どれも当てはまる、これはおもしろい、ぜひここでやってみたいと思ったのはあるんですけれども、今はよそ者と若者がそろいつつあります。あとは一緒にばかになる何かをできれば、本当の意味でそういうまちおこしができるんじゃないかなと。だから、さっきおっしゃったとおり、今まではなかった、若者が集まる場をつくったというのはすごく意義があることなのかなと思ってます。

布田 地元の若者がからくわ丸にかかわることで、地元の若者自身が変わったということはありますか?

立花 唐桑の魅力再発見ということで活動しているので、そういう地元のことについて知らなかったことに気づいたというのがあります。それから、自分の親より上の世代が今の唐桑をつくった方々なのですが、そういった方々といざ話をしようといったって、なかなかそういうことはできない。そこにワンクッションあるというのはこっちにとってもすごくありがたい。そのワンクッションの役割をこの子たちが果たして、架け橋になってくれたことによって自分らもそういった方々と一緒に話をしたりするようになりました。

 閉鎖的な部分が、地区とか地域だけじゃなくて、世代間でもあるので。さっきのよそ者という位置づけがあることによって、うちら若者というのが引き立っているのかなと。そのバランスがすごく取れているのかな。だからそれを自分らがどう活かすかというのが今の課題になってきているところですね。

加藤 最初けっこうおもしろかったんですよ。まさか地元のじいちゃんばあちゃんも、中に唐桑の人がまぎれていると思わないわけですよ。みんな大学生だと思ってるんで、お前どこなんだと。私、東京ですって言って。お前どこだ、岡山です、おれ、兵庫です、僕、崎浜です。そうか。何、崎浜!(※5)

(一同 爆笑)

※5…崎浜は唐桑半島の先端に位置する地区。

加藤 えっ、みたいな(笑)

藤原 急にピンポイントになる(笑)

1 2 3 4 5 6