—被災者も仮設の方にだんだん入っていって、トレーラーハウスが来るなど、プロジェクトKの立ち上げも進んでいったのですね。
地元の人たちの思いというものをシェアの人たちも聞いていたので、やるなら一緒にやりますよといった感じで声をかけて、団体を立ち上げて、共同でやりましょうということで。そこからトレーラーハウスの手配をして、こちらに運んでいただいて、中のもの全部揃えて準備をして、ここがオープンしたのが2011年8月の末ですね。
狭い仮設にいて運動不足となり、生活不活発病が課題に
—仮設に移ってからの活動は高齢者の方が主な対象になりますか?
最初は、特に年齢や在宅などにかかわらず、何か困りごとがあればどうぞということで、なんでも相談がメインでした。そのときにいたスタッフも看護師・保健師の資格を持っている人と、ケアマネージャーの人や、あとは福祉用具のレンタルをしている有限会社ホロスさんというところも理事の一人なのですけれど、そういう方が集まっていたので、介護のことでも生活のことでも、解決できることはここでお話しますし、法律のことなどについては専門的なところにつなぎました。つなぐことの方が多かったかもしれないですね。
最初は、土地の問題とか、家の問題とかで、法律関係の相談が多かったようです。あとは子どもを亡くしてという相談があったようですけれど、そうした相談は、今はかなり減ってきていますね。何でも相談から始まって、だんだん健康相談に移っていきました。また、待っているだけではやはりだめだということになり、仮設住宅の自治会の方とコンタクトを取りました。階上(はしかみ)に仮設住宅が6か所あるのですけれど、自治会がだんだん立ち上がっていったので、11年の年末くらいに自治会の忘年会に行って、私たちはこういう団体ですとご挨拶させていただいて、それからは自治会の支援も始まっていった感じです。
—自治会の運営支援みたいな感じですか?
会長さんがパソコンに全然慣れてない方で、名簿を作ったり回覧板をつくったりするのをお手伝いしたり、あとはそういう忘年会をやるときのチラシをつくって当日もちょっとお手伝いに行ったりしています。そのときに何か困っていることのある住民の方はいないですかみたいな感じで聞いています。
あとはKRA(気仙沼復興協会)さんも、だいたい月1くらいで1か所の仮設ずつ移動しながらお茶会をやっているので、そちらにお願いして一緒に入らせてもらって、お茶会の中で血圧測定をしたり、そのとき何か相談があれば伺うようにしています。
—なんでも相談や自治会支援が住民とつながる切り口になっていたのですね。団体のメインのテーマは健康や医療だと思うのですが、そういう観点で課題になっていたことや、重点を置いて活動をしていたことはありますか。
最初は眠れないとか、体重が減ったとか、逆に増えたとか、血圧が上がったとか、持病が悪くなったという方が多かったですね。特に不眠がすごかったのですけれど、病院にかかっているのであればその経過を一緒に継続してみていき、病院にかかっていなければ少し生活についてアドバイスをして、こちらで全部解決はしないで、受診を勧めたり保健師さんにつなげたりしていました。
最初は、震災の後のストレスやそれに付随する健康問題ということに注目していたのですけれども、何かあればだいたいの人は病院にかかっていて、そのあとサポートセンター(※2)もできたし、支援員さんなどが仮設をまわっていらっしゃっていて、気になる方についてはみんなで把握できつつある状況なので、大きな問題にはなっていません。
※2…気仙沼市が設置した「気仙沼市応急仮設住宅入居者等サポートセンター」のこと。