今まで縁があって陸前高田に支援に入ったり、山田町に行ったり、あるいは福島に行ってたりというグループも、この映画の上映をきっかけに映っている場所にも来てくれと。それも1回2回じゃなくて、僕は例えば、伊勢文化の総力を挙げた支援を作ってくれと言ってるわけですね。当然文化なんだから、歴史もあれば芸能もあれば風俗習慣もある。三重の正月はこういうものを食べてるんだから、来年の正月は一緒に作って食べようとか、そういう交流をしたい。

 金沢も今まで単発で来ていたグループが、NPOかなざわ志縁隊という名前にして、任意団体ですけれども組織化しました。人は代わっても、入れ替わりかなざわ志縁隊の人が今月も来たよ、こっちからも行こうねと。交流が進んでいるところはそういうふうに進んでいる。そういう支援体制を僕らは3年かけて確立したいと思っている。そうすると僕らがいなくたって、その交流は続いていく。10歳の子どもは10年経ったってまだ20歳じゃないですか。金沢に知り合いができて、お兄ちゃんみたいな人がいるんだってなったら、また長い交流ができるだろうと。

−各地にそういう市民レベルのつながりをたくさんつくっていくということですね。

 今回は5団体ですけれども、来年は例えば1団体がもう1団体連れてくれば10団体になるし、その次は20団体になるじゃないですか。それくらいあったらわれわれが動き回らなくても、あるいは九州、北海道までネットワークができるかもしれない。上映会をやって交流会をすれば、その余韻がつながっていって、じゃあ10月にはこっちでも上映会をやりましょうという方が出てくるんですね。行く度に交流する人が増えてくる。

 これからアプローチするところにも、任意団体がなかったらどんどん作っていきますよ。NPO和歌山とか、NPO高知とかね。僕らはそういうのが夢だったの。げんき宮城、げんき山形、げんき青森。

−まちづくりの活動を自分たち主体でやっていく人たちを増やしていきたいと。

 たくさんいろんなNPOとか任意団体があっても、文化事業という目線で捉えている団体って、意外と少ないんですよ。限定した分野では、特化していっぱいあるんでしょうけれど、それでまちづくりをやろうというところは少ないということですね。僕らのグループの時代が来たなと僕らは言ってるんですよ。こういうグループがどんどん各地に出てきて、それが連携したら文化庁を揺すぶるくらいの力になるよと。文化でまちづくりをするんだというはっきりとした旗揚げをしていきます。

 僕ら、「稲むらの火」を持って来年ギリシャに行くんです。あれを書いた小泉八雲はギリシャのレフカダ生まれで、来年が没後110年にあたります。そこでレフカダでイベントをやりたいというので八雲会にオファーが来たんです。アメリカとギリシャと日本の八雲研究家が集まって、3日間国際シンポジウムをやるというのが柱なんですね。その前後にいろいろなオプションがあって、パーティーがあったり、大学で講演があったりします。そこに「稲むらの火」のDVDを防災教材として、げんき宮城がレフカダの子どもたちにプレゼントするということをやります。

 八雲会は全国にいろいろあって、世界にもつながっているんですよね。ニューオーリンズにもいた、シンシナティにもいた。その八雲会につながっている僕らも、一応八雲会の一員です。「稲むらの火」をつくったときなんか、松江ですごい拍手で迎えられたんだ。八雲会を中心に世界の八雲研究者も動いているわけですよ。その輪の中にいるというわけ。だから、われわれは全国展開が可能な団体ということですよ。支援のときも全国から来たし。そこが他の団体と違うところだと思っています。

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