当初は公民館の場所を借りて活動を行っていた

—最初の活動はどんな様子でしたか?

私が入ったのは9月末だったんですね。その頃はちょうど避難所が閉鎖されて仮設住宅に移行する時期でした。当時は私のほかに女性のスタッフが2人いて、3人で仮設住宅をまわって困っていることはないですかと御用聞きに回るような活動をしていました。

そうした活動をしていたとき、どこの事業所にも通っていない行動障害のある20代女性に出会ったんです。日中活動の支援をしようと10月から通い始めました。最初は全然家から出てこなくて活動は出来なかったのですが、通ううちに打ち解けてきて2012年3月に初めて外に出てくれました。

彼女と接しているうちに、障害のある子どもたちの日中活動の場所がないということをお聞きして、私たちがやれることはあるのではないかと思ったんです。そこで、2012年の夏休みに子どもたちを落ち着いたところでゆっくり遊ばせてあげようと、隣の登米市で障害のある子どもたちの子ども広場を開きました。
障害者支援の素人の3人が自閉症の子どもたちと、やりきった感満載で夏休みが終わりました。3人とも被災者だったので自分たちの生活を立て直そうと、活動は一旦夏休みで終了するんです。でも、親御さんから子どもたちの行く場所がないというのを聞いて、それは困ったと思いました。

活動場所は南三陸町内から2、30キロ離れた登米市にあったので、放課後に来るような距離ではありません。無理だと思っていたら、近くの公民館の館長さんが部屋を使わせてくださることになって、9月に準備をして10月からまた放課後の預りを始めました。そこから公民館は3年弱お借りしました。これが活動の原点で、公民館を借りられなかったら活動は終了していたと思います。

最初は臨時のボランティアのつもりでやっていましたが、これは日常的に続けていく必要があると思いました。継続するために何が必要かと考えた時に、法人格が必要だと考え、11月に設立総会をして翌年2月にNPO法人の認証が下りました。法人格を取れたことで、それまでの私たちのボランティア活動が、町の事業として給付の対象にしていただけました。

2014年から放課後等デイサービス事業を始めました。また、2014年に南三陸町で福祉仮設住宅の管理運営をしていた事業所が撤退することになり、素人って怖いなと思うんですけど、とにかくお役に立ちたかったので誰もいないならやってみようと手を上げて、2015、2016年は福祉仮設住宅の管理運営事業も行いました。

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