—奏海の杜は、表現活動やアートを大切にしているように思います。そのきっかけや活動に対する想いを教えてください。
きっかけは、子どもたちが思っていることをわかってあげたいと思ったことです。障害のある子どもたちはなかなか言葉が出ないのですが、思考や心がないわけではなく表現するアウトプットが下手なんだと実感しています。
そのアウトプットさえ自分で何かツールを手に入れることができたら、とても表情豊かにコミュニケーションできるんじゃないかという気持ちがありました。例えば、丸をずっと描く子がいて、様々なことでコミュニケーションを楽しんでいる姿を見ると、これもコミュニケーションのツールになるんだなと思いました。言葉以外だとアートや音楽、大道芸、運動も表現の一部だと思うんですよね。何か自分の気持ちを表出するツールを手に入れることで他者と関わりたい気持ちが育つのではないかと思います。
共にこの場をつくる、双方向の関係性に
—この10年を振り返って、どのあたりが大きな転機でしたか?
一番大きかったのは、理事長を引き受けたことです。2015年度の福祉仮設住宅の管理運営を受託する直前でした。代表理事になったときに「障害があってもなくても誰もが自分らしく暮らせる地域」という理念がどーんと肩にかかってきたんです。理念を目指すためにはどうしたらいいのかしっかり考えるようになったのが大きいと思います。拠点の集約が必要だと思って決断しました。
また、日本NPOセンターが主催したみやぎNPO経営ゼミを2016年度から1年間受けたました。事業所見学に行かせてもらったり、他のNPOの代表とお話をさせてもらったりしました。現場から離れる時間を月1回もらったのは大きかったと思います。俯瞰して法人を見るような時間を取れたので、自分のやるべきことが具体化できました。そこで新しいリーダー像を言語化してくださったんです。私はトップダウンのカリスマ的なリーダーがあるべき姿だと思っていたのですが、下支えするボトムアップのリーダーもいることを教えてもらい、私はそっちだと気が楽になりました。大きい理念をみんなで追いかければいいんだと思ったときに視野が広くなりました。
参加のきっかけは、仙台の中間支援団体である杜の伝言板ゆるるの代表の大久保さんからの声掛けです。実は大久保さんに助成金の申請書の書き方を教えてもらったことがあって、それもすごく大きな転機だと思っています。最初の頃は、申請書を書いても助成金が採択されませんでした。そんなときに大久保さんがとめ市民活動プラザに相談員でいらしていて、どうすれば助成金が取れるか相談しました。すると、具体的にこう書きなさいではなく、申請書は数字と文字でストーリーを書くと教えてもらったんです。すごいガツンときて、あ、物語を書くんだと思いました。それを心掛けるようにしたら助成金が取れるようになったんです。助成金がなかったら活動を継続できなかったです。おかげで書き方がわかりました。
—この10年の活動の中で感じる変化はどのようなものですか。
一番大きいのは支援する人、支援される人という関係で接していたのが、今は共にこの場をつくる人という双方向の関係ができてきたことだと思います。それは私たちと子どもたちもそうですし、親御さんもそうです。今まで私たちがすることに対してノーと言わないし、遠慮をされていたんですね。だけど今は何かあったら言ってくれるし、新拠点をつくろうというときも意見を出してくれます。
支援する人、支援される人の関係だと、支援者が少ないのでいつかパンクしてしまいます。共にこの場を作る人という感覚になって、スタッフも変わってきました。最初は誰々さんのためにとか、私が頑張るとか、そういう言葉がすごく聞こえてきたのですが、今は誰々さんに会いたいとか、癒されるとか。とても心地よくなっています。それはスタッフの皆さんも感じているんじゃないかと思います。