―復興期は、農業と併せてそういったプロジェクトや行事再生などを行っていたわけですね。

復興期は4つのプロジェクトに分かれて活動していました。農業チーム(市民農園、野菜作り)、販売チーム(若林区復興支援ショップりるまぁと)、景観チーム(農村ツーリズム)、コミュニティチーム(行事再生)。復興期は、原則として農家の生業である農業にはボランティアしないようにしました。それは、農家の営農再開の努力を阻んでしまうからです。また地域のパートの職が無償のボランティアに奪われてしまいます。

それでも人手不足があるため、コメの播種や田植えなどで、ときどきは農家支援を継続していくわけですが、どちらかというと、学生が地域の活性化を促すような取り組みに変更していきました。リルーツファームを経験した学生の中から新規就農を目指す人材を育てることは重要です。2021年3月までにReRootsから新規就農した若者は5人です。大学に入るときには農家になりたいと思っていなかった学生が、ここでの経験で人生の目標を得て変化していったのでしょう。

農民目線や住民目線とのズレを発見できるよう、とことん討論した

―これまでの流れの中で大きな転換期はいつでしたか?

復旧段階から復興段階に至るときに、学生たちの間で活動のあり方について混乱がありました。がれき撤去を経験した学生は、農家目線で物事を考え、よく働き責任感も強く、物事を実現していくための組み立てや徹底性などが身についていました。しかし、復旧ボランティアがなくなり、どちらかというとイベント系の取り組みが多くなってくると、新入生が、学生のノリで入ってくるんです。そういう学生に対して「農家目線でやらなくてはいけない」とか「農家から信頼されるような立ち振る舞いを」とか伝えたいのだけれど、1年生はそこまでついていけませんでした。もっと楽しくやりたいとか自分がやりたいボランティアとは違うとか。

ReRootsは学生出発の支援ではなく、農家目線で農家が必要としている課題をどう解決するかというボランティアなんだということを伝えても言葉では伝わらず、サークルが崩壊するんじゃないかというほどの混乱でした。そこで2014年の11月には、いったん、野菜販売や対外的な行事以外の活動は停止にして内部整理を始めたんです。そうしないと持ちませんでした。

「農家目線で」と言っても、ガレキ撤去から関わっていた学生とは感覚が違います。今はそのような環境ではないのだから、プロジェクトの中で「農家目線」「住民目線」を発見できるようにしていかなくてはいけないわけです。例えば、お芋プロジェクトをやるときに、参加者と農家が求めるものは違いますよね。そこをきちんと整理していくようにしたんです。企画の最初で、地域の抱える課題と、その解決のために求められる様々なプロジェクトの位置づけを一度整理する。そこで自分のやりたいことと、地域から求められることを、違う目線で転換できるかどうかを考えてみる。自分の見ている視点と相手の側とのズレを発見できるようにするためです。自分がこんなことしたいなぁというアイデアはいくら出しても構わない、しかしそれが農家から見たものとか参加者から見たものと合っているかを考えることが大事です。

それをコーディネートするのがリーダーの役割。これはまずいなとかここはずれているなと気づいたら、自分の行動を客観視できるように促していきました。リーダーがメンバーの長所短所をしっかりと理解しているからこそできることでもあります。プロジェクトの実行過程で見えてくる、学生の軽さというものに対して、それはReRootsが目指す理念やコンセプトに対してどうなのかとか、農家や住民から見てどうなのかとか、とことん討論していきます。

失敗の連続の中で整理した組織論、チーム論、リーダー論を、リーダーだけでなく全体に伝え、教訓にしながら、今後の指針とします。さまざまな失敗や葛藤の積み重ねが成長につながり、組織の自活能力が整備されたと思います。学生のなかには、きちんとReRootsで活動した経験から、自己としっかりと向き合い分析する力や物事を受け止める器が広くなり、目の前の課題やトラブルについて解決するためのプロジェクトとして運営し、同時にチームをマネジメントできる人材に育っていると感じます。就職してからもその力は生かされているようです。

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