―この時はまだ、施設は再開していなかったのですか?
その頃はまだ余震があり、町全体が混乱状態でした。それでも、障害者とその家族の疲弊状態を軽減するために日中活動ができる場所として施設を再開しようとしていたのですが、その時社協は災害ボランティアコーディネートなどの業務もあり、どこも人手が足りなくて、地域で暮らす障害者の体調を把握するために避難所、自宅、親戚宅を巡回し直接支援する地元スタッフは私一人しかいなかったんです。
ちょうどその頃、全国から精神科ワーカーや障害者支援スタッフのリーダーたちが訪ねてきてくれました。その人たちに状況を話したら、巡回による支援や施設再開に必要な準備など、それぞれの専門スキルを大いに発揮し手伝ってくれたんです。
そうして震災から2か月が経った頃、施設を再開できました。しかし、活動の大半を失い、お世話になっていた地域の方々も多く犠牲となっており、そこには笑顔はありませんでした。1か月間、佐賀県の精神科の先生が、滞在先の仙台から毎日通い、障害者や保護者、地域の心のケアが必要な人たちのカウンセリングをしてくださり、まずは心身のリハビリから始めました。先生はこの被災状況を全国の精神科関連の友人や知人に伝えてくださり、山元町の心のケアができる場づくりのために550万円の支援金を集めてくださいました。「とにかく今の状況を打開するために地域のコミュニティスペースを作ってほしい」と、このお金を置いていかれました。心のケアなどの障害者の直接支援で手一杯の状態で、コミュニティを再生するなんて、私一人では到底できない状態でした。その時、障害者の仕事づくりを「アート」で応援してくれた奈良の一般財団法人たんぽぽの家が応援してくれました。そして山元町のコミュニティカフェづくりのために現地スタッフを2名派遣して下さったのです。いろんな試行錯誤を私と一緒に3人でやらせてもらったのは、本当にありがたかったです。
こうして苦労して2012年11月15日にオープンしたコミュニティカフェは、隣にある仮設住宅の人たちが癒されに来て、全国から山元町に支援に来た人がお茶を飲みに立ち寄ってくれる場所となりました。そのうちに、仲良くなった全国の支援者や地域のリーダーたちと、山元町の復興をどうしていくかを全国の先進的な過疎地の取り組みなどの紹介をしてもらって勉強しました。私としては、地域が復興しないと障害者福祉もいい方向に行かないと思っていましたし、障害者福祉のこともわかってもらえる地域のリーダーと一緒に、地域の復興を目指したいという気持ちがありました。
山元町の歴史文化を象徴する壁画。コミュニティアートという手法で完成させた
山元を元気にする縦2メートル×幅33メートルの壁画をつくった
―コミュニティカフェのオープンは、ポラリス設立前の大きな転機だったのですね。
コミュニティカフェを創ることができましたが、これは地域づくりのスタート。私は山元町の復興はこれからだと思っていたので、社協を退職し、より柔軟に迅速に活動可能なNPOを立ち上げ、この指とまれで集まった数名と一緒に、地域づくりと障害者福祉をやっていくことにしました。とにかく今必要と思う事に取り組み、地域を元気にする実績を作りながら、まわりの人たちに私たちが目指すことを理解してもらうしかないと腹をくくりました。約1年間、NPO活動のノウハウを学び、2015年5月にポラリスを設立しました。
NPOを設立して最初の大きなプロジェクトが、私たちの転機となった、壁画アートプロジェクトでした。フレスコ株式会社の当時の社長から「山下駅前にスーパーを建てるんだけども、地域に貢献し、障害者支援にも力になりたいから、何か障害者と一緒にできる仕事を作りたい。そこの壁画を作ってください」と言われました。テーマが「山元を元気にするアート」で、縦2メートル×幅33メートルの大きな壁画制作の仕事をいただきました。これから障害者アートの魅力を広めていく貴重な機会でしたが、経験がなく、しかし、地域が元気になるための大切なプロジェクトと感じました。全国で様々な障害者アートの作品制作を支援している経験豊かなNPO法人エイブル・アート・ジャパンに相談することができました。
縦2メートル×横33メートルの壁画制作のために、京都の福井恵子さん(フラッグデザイナー)に相談することができ、プロジェクトに参加してもらえることになりました。福井さんはその年何度も山元に来てくれて、山元の魅力について一緒に勉強して下さりました。今、地元の人は震災以降のことしか頭にないけど、もう1回震災前の山元町のことを振り返り、地元のみんなが魅力と感じるものがたくさんあるはずだから、それを探して、アートで表現しましょうよ、と。それで私は、山元の歴史や民俗や文化や自然について地元の人と勉強しました。資料を集め、地元の歴史の詳しい人たちや学校の先生にヒアリングをするなど、みんなに力を借りました。そして、初めての経験でしたが、障害者だけではなく、コミュニティアートという手法で、地域の人たちと1年程かけて2016年10月に壁画「Happyやまのもと」を完成させました。
壁画アートプロジェクトの後、2017年に「山元ものがたり」という冊子を作りました。山元の魅力を発信する冊子です。壁画をつくるために勉強していたら、山元の魅力はたくさんあると思いましたが、地元の歴史をけっこう知らない人が多いことにも気づきました。子どもたちを見ていると、地元には中学までしかいなくて、高校で町外に進学すると、山元の歴史なんて全然知らないまま大人になってしまう。それではいけないと思い、取り組みました。