―震災後10年の活動での田口さんご自身やスタッフの変化はどのようなものでしたか?

ポラリスで活動をしていて、スタッフだけでなく、障害者やその家族が、地域でどう活躍していくとおもしろいかな、変化を起こしていくかなと考えて画策するのが楽しいです。それが私のハッピーにつながるというか、やっててよかったと思います。でもこれは震災の反動なんです。震災の時に、同僚が津波で亡くなってどん底でした。あの時、悶々と考えた結果、みんなでハッピーを目指したい、ポジティブにしか考えたくないっていう挫折からの這い上がりの哲学が自分の中にできました。

スタッフは、新たなチャレンジができるようになってきました。新地町でも障害者の支援に協力してほしいという話が来た時はポラリスが設立4年目のときでした。はじめはスタッフが4人しかいなかったところに若手3人が加わったところでした。そして、ポラリスを持続可能にするには、スタッフ育成が重要と考え、もっと広いフィールドで様々な生きづらさを抱えている人と出会い、ソーシャルワーカーとして意識とスキルを向上する機会になればと思って新地町の障がい児者相談支援事業にチャレンジしたんです。

いつ災害が起きても障害者でも誰でもお互い助け合えるように

―この10年を振り返る中で、のちの人に伝えたいこと、教訓はどのようなものですか?

あの震災を経験して、今後いつ震災や緊急事態が起きたとしても、障害者でも誰であっても、その時近くにいる人と助けあえる人になってほしいと思ったんです。困った時、「すいません、助けてもらえますか?」と言えるように。つまり、弱い立場にある人も、地域の人たちと協力して非常事態を乗り切り、命を守れる。このことこそ、震災が教えてくれた一番大事なことだと思っています。そして、それを今も一番の目的にしています。

私も震災により、自分がどれだけ力がないかよくわかりました。でも、障害者をはじめ自分でSOSを出せない人たちが取り残されないようにするためには何とかしなければと思うと、恥ずかしいとか言っていられなかった。その結果、地元や全国の応援をたくさん受けながらここまで来ています。本当に他力本願でここまで来られました。

震災やいろんな災害があり、ウィズコロナの時代になり、これからどんな時代が来るかわからないですけれど、でも何とかして生きていきたいじゃないですか。生き抜いていく力が大事なんです。そのために、みんなが力をつけていく(主体的に考えて行動を起こす)ことが大切です。これだけ甚大な被害があった山元町の、その中で最もマイノリティだと感じたのが障害者福祉でした。だから、私たちは、地域づくりと障害者支援を一緒にやりました。障害があっても地域で安心して豊かに生きれるかというと、障害者福祉サービスを利用するだけではそうはできないかと思います。本当にこの10年間、共に学び、活動し、当事者も、保護者も、スタッフも、地域の人たちも、弱さやつらさをチカラに変えることに取り組んだと思います。でも、これからもですね。

1 2 3 4 5