―被災した子どもの学習支援に加えて不登校支援をするようになりましたが、その転機となったことを教えてください。

2011年から2014年の3年間、角田市で塾は継続して行っていました。ある日、まなびの森のスタッフが角田中学校の校長先生と偶然お会いし、地元にも目を向けてほしいと言われたそうなんです。後日、詳しいお話を聞きに行くことになり、そこで私たちは初めて、今学校では不登校が増えているという事実を知ったのが転機となりました。

お話を受けて2013年の年末は、来年度に向けたスクールカウンセラーの事業設計を文科省へ提出する時期だったのですが、新たに角田市の不登校支援活動を入れて打診したところ、文科省から承諾を得ることができました。そして事業を行うためには、実施地域の学校長もしくは教育委員会の同意を得る必要がありました。校長先生は角田市の教育委員会に打診をしたのですが、同意を得ることができませんでした。塾を母体とする団体を学校に入れて大丈夫なのかと不安視されたことが同意を得られなかった理由だったのでしょう。期限が迫っていた中で校長先生が、私が全て責任を取ると言ってくださり、学校長の同意のもとで事業を始めることができました。そして2014年から角田中学校の中に別室登校の場所をつくり、スタッフが常駐する活動が始まりました。

不登校の子たちが徐々に教室に戻って行きやすいように、授業の補習をメインにとそのときは思っていましたが、現実は違いました。必要だったのは遅れた授業の補習ではなく、心のケアだったのです。それは現場スタッフたちの声で少しずつわかってきました。経験のあるスタッフから、不登校の子には自転車に乗れない子が多いと聞かされたとき、不登校の背景の一つに家庭環境も関係があるのではないかと思うようになりました。震災以前には水面下で起きていた家庭の弱体化が、今回の震災をきっかけに不登校という形となって姿を現わしてきたのではないかと思いました。

不登校の子の家まで行き、「学校で待ってるよ」と登校を促すようなこともしました(車に同乗させて登校させることは立場上できないのです)。また不登校では普段体を動かす機会がないので、体育館で一緒にバドミントンをやったりもしました。あるスタッフから、子どもたちのためにシャンプー、ボディーソープを備品で買ってほしいと言われたことがありました。話を聞いてみると、家でお風呂に入れない子どもがいたんです。そういうことが学校に来られない要因としてもあったのです。まさか学習支援にたどり着く以前にこういう支援まで必要になってくるとは思っていませんでした。

角田中に直接関わったのは2014年から2017年までの4年間でした。その後2018年、県の事業で「みやぎ子どもの心のケアハウス運営支援事業」という制度が角田市で始まりました。またその頃、山元町でも不登校が2017年から2018年で増えてきていたので、角田市で心のケアハウス事業が立ち上がると情報提供をしました。山元町ではフリースクールを自主事業として2018年から1年間やっており、連絡体制を外部につくり、子どもの利用状況を確認していました。生徒の出席確認や、日常での様子といった報告を学校と密に行いました。校長先生もそこでの利用を出席扱いにしてくれるなど応援してくださいました。そして2019年に山元町でも心のケアハウス事業が立ち上がりました。

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