―組織運営において大変だったことや、乗り越えてきたことを教えてください。

経済面での出来事が大きいですね。2014年、角田中での不登校支援活動に関しては緊急スクールカウンセラー活用事業のおかげで乗り越えられましたが、2015年から2017年は事業の申請方法に変更が生じ、事業の申請ができませんでした。それまでは文科省に直接申請でよかったものが、最初に役所で受理されることが条件として新たに追加されました。山元町の申請はスムーズにできたのですが、角田市ではできませんでした。役所の申請に必要だった当時の教育長の同意が得られなかったんです。ニーズは目の前にあるのに、活動していく上で必要となる資金がほぼない状態でした。細かい助成金はあったのですが、人件費も苦しく、同時に運営していた塾での自主事業だけで乗り切るのは非常に辛かったです。財源を失ったことで経済的には非常に大変でした。

―震災から10年になりますが、震災が子どもたちに与えた影響をどのように感じてますか?

長期で関わってきたからこそ年代ごとに見えてきた特徴が大きく3つあります。まず、2011年の4月時点で中学1年から3年生だった子どもたちは、震災の体験を言語化できた世代です。卒業式の答辞では必ず震災のことを述べていました。次に小学4年から6年生だった子どもたちは、多様な不安を抱える世代であり、基礎学力の定着が不安定、そして将来に漠然と不安を持ち、自己肯定感が薄い世代だったように感じます。3つ目の小学1年から3年生だった子どもたちは、震災体験を言語化できなかった世代です。この子たちの場合は学級崩壊が多かったり、不登校傾向も高く、基礎学力の定着も不安定と、全体的に不安定な子が多かったです。

災害が起きたらまず最初に、私たちは受験生の支援を優先しがちです。もちろん大切な時期だとは思うのですが、長期的に見ていくと、一番関心を向けなければならないのは、言語化ができず、漠然とした不安を抱えた小学生たちの3年後や6年後だと思うんです。私たちも震災では、受験を控えた中学生に資源を向けてしまいがちでした。今になってはそこが反省点です。今回のコロナに関しても今の小学生の子たちが心配です。

地域に必要な人材を地域自らが育てなければという思いでやってきた

―活動を続けていった中で、学校や地域にはどのような変化がありましたか? また、ご自身やスタッフについて変化を感じることはありますか?

最初の頃は稀有だった自分たちの活動が、少しずつ受け入れられるようになってきたことです。自分たちに対する警戒心がなくなってきたような感じですね。こういった変化は地域だけでなく、教育機関、そして学校現場での先生たちにも浸透していきました。今では山元町、角田市、丸森町の教育委員会からお声が掛かり、呼ばれる機会があります。

また長く活動していると、以前関わりをもった先生たちと再会することもあるんです。今の教頭、校長先生になられた方たちは、スタッフや生徒たちが以前お世話になった方たちだったりもするんです。そうすると今後、スタッフたちにとっては、既に信頼関係ができているので、先生方と活動がしやすくなるのかなと思います。そうやって積み重ねてきた関係が続いていくのはありがたいことです。

元々は地域から人がどんどん出て行ってしまうことを課題として感じていました。ですので、地域が存続するためには、地域に必要な人を、地域自らが育てなければならないという想いをもとにまなびの森では活動してきました。現在の現場を担っているのは、地元で育ち、震災で学習支援活動や学習塾の運営で関わってきた子どもたちです。そういう意味では自分の代でやれることはやれたという達成感があります。

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