—最初はどういう目的で移動サービスを利用する方が多かったですか?
最初から病院は多かったです。病院はあまり開いていなかったから、日赤病院への送迎が多かったですね。また、最初はやはり内科、外科、整形外科など、直接震災の影響を受けたり、持病があってもずっと病院に行けなかった方たちの送迎が多くありました。だんだん皮膚科とか、眼科とか、歯医者さんとか、そういう命と直結の次みたいなものの割合が増えていくという変化はありましたね。
当初から病院への送迎が一番多かったですけれど、移り変わりはあって、最初の頃は買い物目的も今より多かったです。その他、コインランドリーに行くというのもありました。市街地は1階部分が冠水してるので、だいたいみんな洗濯機とボイラーが壊れたんです。お風呂に入れない、服が洗濯できないということで、コインランドリーへの送迎はありました。もう戦場ですよ。朝6時半には行列ができていました。それから自衛隊や民間のボランティアがやっていたお風呂への送迎ですね。介護保険などのサービスもまったく機能していない状況で、その頃私たちは入浴介助もしていました。
—最初から車いすの方の送迎や、ストレッチャーを使うような送迎もやっていたんですか?
やっていましたね。ホップは日本で初めて救急車を持ったNPOだったんですよ。緊急期の頃は救急車で専修大のミーティングに行くこともありました。後ろから非常灯をつけた救急車が来たら道路脇によけて(笑)。それを使ってストレッチャー送迎などをしていました。
—最初の頃から送迎の内容がだんだん変わってきたと感じたのはどんなときでしたか?
本当に命に関わる部分以外は我慢していたのが、もっと生活にかかわるようなことを望むようになってきたときですね。津波でどこかの避難所に運び込まれたあとで一回も自宅を見ていないから、自宅を見に戻るとか。自宅に通うという送迎はわりとありましたね。それから仮葬で土葬されていた人たちの火葬が始まったのが夏くらいで、その頃には火葬場への送迎がよく入りましたね。また、避難所からお葬式という送迎もいっぱい入るようになりました。
仮設住宅がちょっとずつできてきて、ぱらぱらと仮設住宅に入る人がでてきました。レラで送迎する人は独居の高齢者だったり、障害があったり、一人で生活するのは大変な方で、だから避難所が閉鎖する最後の方まで引っ越しの送迎はそんなになくて、10月11日に避難所が閉鎖するとなったとき、最後の1ヶ月に一気に引っ越しの送迎依頼が来ましたね。
引っ越した後は仮設住宅で最低限の家電しかないから、みんなホーマック、ニトリ、買い物ばっかりでしたね。だいたい衣装ケース、カラーボックス、ちょっとした家電を買って、寒くなってきたらストーブとか。生活用品を買いたいという送迎がしばらく続いて、そのあとは今みたいに病院への送迎がメインになりました。それから、最初の頃は市役所への送迎がすごく多かったです。
なぜ石巻でこんなに移動支援のニーズがあるのか。田舎の町にプチ都会ができて、隣近所に誰がいるかわからない
—震災の当初からのニーズの変化はありましたが、利用する方については、それほど変化はなかったでしょうか。高齢の方や障害者の方が当初からの利用者でしたか?
変わりましたね。最初の頃は本当にありとあらゆる年代でした。中学生が電話を掛けてきたり、お母さんが息子のお迎えに行くとか。お母さんやお父さんはなるべく早く車を買うから、いつの間にかレラを使わなくなっていくんですよ。だけどその分もともと車がなかったとか、今までもぎりぎりで車を運転していたんだけど、この際止めなさいと言われて乗るのを止めたとか、そういう人たちが残っていきました。口コミで広がっていくから、若い利用者は減っても高齢の方などがまた増える。去年の秋にアンケート調査したとき、3分の2くらいは免許も車も持っていませんでした。