—当初は若い方も車を流されたから利用があったわけですね。

 そうです。そしていつの間にか、もともと乗れなかった人たちの割合が増えてきた。それまでその人たちはどうしていたかといったら、家族が送ってくれていたけれど、仮設は狭いからばらばらに暮らすようになっていて送ってもらうことができないとか、近所の人に送ってもらっていたけど近所の人たちもばらばらになっちゃったというケースが多いです。

—石巻ではばらばらに仮設に入居した割合が多かったんでしょうか。コミュニティごとというのは少なかったんでしょうか?

 コミュニティごとというのは浜の方しかないですね。そこが本当に石巻の特徴です。なぜ石巻でこんなに移動支援のニーズがあるのか。抽選で仮設に入っていて、しかも被災の規模がとっても大きい。田舎の町に仮設住宅団地というプチ都会ができた感じで、隣近所に誰がいるかわからない。

—病院などへの移動距離もわりと長いのでしょうか?

 内陸はそうですね。ただ、協力費(※)いくらくらいの利用が一番多いかというと3分の1が100円、もう3分の1が200円です。つまり、今は利用の3分の2が6キロ以内なので、そんなに距離は長くないニーズの方が多いんですね。内陸の仮設とか、郊外の仮設とかは移動距離が長いし、交通が不便です。完全にそれが理由で利用しているという感じです。でも、例えば大橋地区などは街中ですが、利用者は必ず毎日いて、それはやっぱり他の交通手段が使えないからです。

※送迎の利用については、ガソリン代実費分として、3kmにつき100円の協力費を利用者にお願いしている。

—送迎のサービス内容について、当初から変わったことはありますか?

 当初は完全無償でやっていました。24時間対応でした。完全無償で時間設定なし、回数制限ももちろんなしでした。休日もなし。

—よくそこまでやりましたね。

(笑)今考えればね。振り返ればそうですね。あの頃は避難所も全部そういう体制でしたからね。それしかなかったですよね。最初の丸一年間が無償でした。

—経費は全部助成金でまかなっていたんですか?

 全部ホップのお金でした。たぶんホップが助成金申請などもしていたのでしょうが、持ち出しも多かったのではないでしょうか。しかし、一年となるところでこれ以上の支援は難しいとなり、ホップとしては活動をずっと縮小するか、もう止めるかという話になりました。でも、その段階ではうちのスタッフはみんな地元の人間になっていて、この活動を止めるのは「やんだ!」ってことになったんですよね(笑)

 まだ続けたいということになって。お金がないから続けられない、でもまだニーズはこんなにある。じゃあどこかからお金を貰うしかない。そんなときに新しい公共支援事業(※)のことを知りました。

※新しい公共支援事業…NPOを対象とした宮城県の補助事業。

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