ただ僕らは重機を使う作業というのはできませんので、重機が入った後の農地で土の中に埋まったがれきを取り除き、畑を使えるレベルにする作業をします。重機が入っても、表面のがれきをさらったというだけですから。また、ビニールハウスの中とかは重機は入りませんし、そういうところのニーズはたくさんあったんですね。

 失業対策で、農家が5人か6人くらい集まって復興組合をつくってがれきをとれば、日当は出たんです。でも1つの畑のがれきを取るのに5、6人でやっても終わらないですから、あれはもう機能しなかったんです。1枚の畑をやるのに何十人何百人とかかりますからね。

 僕たちがボランティアに入るようになると、それはぜひということで、農家と関係を作りながらやっていきました。そのころ僕たちはもう9時5時でボランティアをしていました。ボランティアセンターは現場に着くのが10時くらいで2時くらいには上がってしまいます。僕らは農家の生活感覚に合わせてやっていたので、長い時は9時から7時でした。

 若林区は広いので僕たちのグループだけではできないですし、ボランティアハウスという拠点を作って、全国からのボランティアを受け入れて、毎日やれる体制をつくりました。最初にコンセプトを作って理念を定め、それに見合う体制を作って農業支援のスタイルを構築して、受け入れ態勢を作るというのが最初の課題でしたね。でもそこはそんなに難しくなかったです。いろいろな支援物資やボランティアハウスの建物を提供してくれる方もいましたし、人も集まってきましたので。

農家と同じ生活空間の中で畑を耕し、存在を作っていく

—参加するボランティアの数は最初から多かったのですか?

 6月に市のボランティアセンターが撤退するので、6月1日にはもう土地は借りていたんですね。6月中にはもう動いていて7月16日にオープンするんですけれども、当然知られていないから最初はボランティアの参加者数は多くないんです。11年7月は75人です。2週間ですけれど。そこから増えてピークは月間2,000人ですね。現在は毎月1,000人くらいです。

—農地の復旧から始めて、だんだん農業の支援に移ってくるのですか?

 7月にオープンして、復旧から復興というのは並行して進んでいきます。10月にはReRootsファームということで、僕らが農家から遊休地や耕作放棄地を借りて、畑を作り始めます。ボランティアは、がれきを取ったらいなくなってしまうと思われていますので、僕らがただの一時的なボランティアをしているだけではないということを示すためにも、農家と同じ生活空間の中で畑を耕し、存在を作っていくのは重要なことです。農業の実際の仕事を肌で感じるとともに、感覚的にも農業の辛さ楽しみというのを学ぶ。畑の中にいるということは地域の生活空間の中にいるということなので、地元密着のつながりができていきますし、若い学生たちが畑をやっているというのは農家からの期待も受けます。

 畑をやっていても、やっぱりへたくそですからみんなまわりに寄ってきますし、農機具を使っていればなんだこんな機械使っているのか、うちにも貸してけろってことで、貸したりもしています。けっこう僕らは機械を手に入れることもできたので。ReRootsファームは農家との関係づくりにも重要な要素を持っています。そして農業について学ぶ場となっています。

 2012年の4月には農家と協力して市民農園を始めました。冬の間に農家と関係をとって準備して、荒浜狐塚と三本塚につくりました。荒浜では被災者向けの市民農園を、荒浜の集落営農組合と実行組合と協力してオープンする。三本塚では農家の土地をお借りして、農家と協力して、一般市民向けにオープンする。

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