−同じ学校じゃないというのが逆にいいのかもしれないですよね。

 同じ学校じゃないからこそ、言えることだったり、見せられる姿だったりというのがあるみたいです。最近難しいのが、学校の友達を連れてきなよというのが通じない。友達を連れてきちゃうと、友達に対しての自分を見せないといけないので。できるだけこの場所を知られたくないみたいなことがありますね。

−震災当初からの子どもの変化というのはありますか?

 震災直後は、震災遺児・孤児や、きょうだいを亡くしているという子をけっこう見ていました。そういう子たちは能面みたいに表情がなかったのですけれど、徐々にうちの教室の中で笑ってくれるようになったということがありました。また、子どもが家に帰って、お母さんとTEDICのことが共通の話題になって、こんな先生がいてねとか、こういうことがあってねということを喜怒哀楽まぜて話してくれるようになったというのは保護者の方からすごく聞きましたね。

 自分の息子とか娘の感情がすごく現れるようになった、ほっとしたというのが、避難所のときに保護者から一番言われた声です。成績が伸びたというのもありましたけどね。一年間で数学が2から5になったとか。伸び過ぎだろ、みたいなこともありましたけど(笑)。

−成績が上がったというのは、成果としてはわかりやすいですよね。

 そうですね。ただ、うちの活動しているスタッフは成績が伸びたというところよりも、情緒面での変化が感じられるかを重視しています。

−荒れていた子が落ち着いてきたというケースもありますか?

 あります。去年一年間、スーパーヤンキーの中三生を見ていたんです。最初は本当にもう、トムとジェリーみたいな感じでした。タバコ持ったり、お酒飲んだりというのをずっと追いかけて、窓から飛び降りるのを捕まえたりしていました。夏休み明けぐらいから、僕たちが行く前から座ってタバコ片手に勉強していたりして、次第に落ち着いてきて、タバコもなくなって、ずっと勉強しているというようになってきました。逆にこっちがやりにくいよというような(笑)

−本人にとっても居場所となる場所だったのでしょうね。

 久しぶりに人に褒めてもらったと言っていました。学校の先生は話を聞いてくれないけれど、私の下の名前で優君と呼ぶんですけれど、優君はちゃんと話を聞いてくれるから話す気になるけど、他の先公とか全然話聞いてくれねえんだよと言っていました。

 さっきのタバコの話もお酒の話も、学校だったらその行為をしているだけで一発アウトというか、それ以上話し合いの余地はないんですけれど、学校外の場所で、まあよくはないんですけどね、学校外の場所だからこそ、そこに目をつむってでもその子たちと話をできたりとか、その子の本音みたいなところに触れ合えたりというのがやっぱりある。その部分で近づけたというはあります。彼らは今度高校生になったり、高校受験に受からなくて中卒で働いていたりするのですけれども、けっこう顔出しに来るんですよね。しょうがねえから顔見に来てやったわとか。差し入れ持ってきたりとか(笑)。

−学校の先生だと、タバコとか酒とかそういうことについて、立場上それを脇に置くということはできないでしょうね。学校現場と離れた場所だからこその対応ができる部分はありますね。

 今年度から、あえて学校の放課後に入るということを、2つの学校でやっています。うちが独立して運営しているというよりは、学校の先生も入ってやっている形です。学校の中と学校外のところとを比較した場合に、やっぱり学校の中でやるというのは難しいというのをすごく感じています。制限がいろいろありますし、やんちゃな子への対応も、外部団体という立場とはいえ、先生方の手前できないことがあります。

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