子どもたちがストレスを発散できる空間が、震災後失われている
—第1段階では引っ越しの支援をしながらニーズを聞いて、次にそれに応えていく活動を行っていったわけですね。
そのあと展開していった事業は二つあります。一つは子どもたちの就学支援。引っ越しをお手伝いした中に、母子世帯で当時中2の女の子がいて、その子は震災前から不登校気味で、震災後は避難所の生活でぜんそくになったり、いろいろな困難を抱えていました。お母さんも精神疾患を抱えている方で、とても女の子の世話をするだけの体力も余裕もなく、生活も困窮している状態でした。
これまでご実家のおばあさんと同居していましたが、被災がきっかけで世帯も分かれて、母子だけ残されてという状況でした。この子はあと1年、2年経って、高校に行けるのか、高校に行けなかったら選べる選択肢なんてほとんどなくなってしまうということが突きつけられていました。そこで、勉強を教えて、いろいろな制度を利用しながら高校進学をサポートしていこうと。
それをきっかけに子どもたちへの支援を始め、最終的には8世帯12人の子どもたちをボランティアが丁寧に毎週家庭教師のような形で支援していきました。個別で支援したのも理由があります。そういう困難を抱えた子は、集団の場に出てこれないことが多いんです。震災を契機にご家族を亡くされていたり、ご両親も余裕がなくなって、困難が降り掛かっていたので、大学生が個別に丁寧に支援するというやり方をとってきました。
もう一つが、今もしている送迎バスの支援で、引っ越し支援をしている中で依頼があって始めました。50代のご夫婦で、奥さんが人工透析を受けられていて、週3回病院に通わなくてはならない。これまでは病院の近くに居を構えていたのですが、そこから仮設に入って、病院に行くのが大変になってしまい、だんなさんが平日週3回、送迎されていました。だんなさんは失業されていて、それだと仕事も探せないし、このままだと非常に厳しく、どうしたらいいでしょうという相談をいただいて、それであれば私たちが送迎しますという話になりました。どうせ送迎するならその方だけじゃなく、仮設に入っているみんなが利用できるしくみをつくりましょうということで、扇町の仮設で送迎バスを始めました。
これもニーズ自体は最初からあったと思います。これまで住んでいた場所から離れて仮設住宅に入って、特に高齢の方は車も自転車もなく、買い物に行くのも大変です。多くの方がタクシーを使って通院したり、道がよくわからなくて買い物に行けなくて、通販を利用している方もいました。ニーズはたくさんあると感じていましたが、最初は利用が少なかったですね。今は、宮城野区の8ヶ所の仮設のうち6ヶ所で運行していて、月の延べ利用人数が300人から400人になっており、生活の交通手段の一つとして定着してきた感じはあります。
—就学支援は8世帯12人ということでしたが、これは今も同じくらい支援しているのですか?
支援していた方は今年度から高校に上がったり進学したりして、いったん区切りがついたんです。今年度からはまた違った就学支援になりました。津波で被災した小学校の教頭先生から子どもたちの放課後の支援をしてほしいと依頼がありました。仮設住宅の集会所を借りて、そこの小学校の子どもたちを支援するということをしています。